2015年8月
            1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28 29
30 31          

最近のトラックバック

無料ブログはココログ

« 2011年5月 | トップページ | 2011年7月 »

2011年6月

2011年6月19日 (日)

父の想い出

 今日は父の日。諫早市の広報誌『市報いさはや』(平成11年6月20日号)のいさはや歳時記欄に掲載された、父の想い出をアップしたいと思います。

   「父と東大川 (ひがしおおかわ)

 私たち家族は、昭和20年、私が10歳のとき、敗戦で現在の韓国から引き揚げて来た。父の郷里は鹿児島だったが、戦災でやられ、帰るところがなく、母の生まれ故郷の諫早市津水町にひとまず落ち着いた。その後、父が病に倒れ、昭和25年に亡くなったので、私たち一家はこの津水町にそのまま居着いてしまうことになる。

 家の前を、東大川が大村湾の潮の満ち干に合わせ、あるときは上流の貝津町の方向へ、またあるときは大村湾の方向へとゆったりと流れていた。私たち津水町の住民はこの川を海と呼んでいた。事実、なめると塩辛いので、私はこれが「東大川」というれっきとした川だとはかなり遅くまで知らなかった。

 父は療養中の無聊をこの川にどれほど慰められていたことだろう。少し具合が良いと、すぐに釣り具を取り出して、釣り糸を垂れた。ときどき一本道の上流の方向を気にしているのは、喜々津から往診に来てくださる医師、N先生のバイクであった。先生のバイクの音がしてくると、子供のように首をすくめてあわてて家にひっこんだ。先生の方はとっくにお見通しで、聴診器を当てながらやんわりと注意されるのだった。先生の目を盗んでの父の獲物はウナギ、ボラ、ハゼなどであった。

 あれからずいぶんの歳月が流れた。昭和32年の大水害後の護岸工事で川の様子は一変した。かつて春のレンゲソウや菜の花、初夏の麦畑、盛夏の稲田、秋の黄金の波、と色とりどりに移り変わった川辺の風景も、にぎやかな家並みに置き換わった。

 父の大好きだった川を見下ろす墓地を訪ねるとき、私は東大川のほとりを歩く。そして、そこに釣り人の姿を見つけては胸を熱くする。この東大川を愛して一生を終わった父の姿を、もはや見ることはない。

2011年6月18日 (土)

果物トケイソウのタネに変化!

 今日もまた、雨です。果物トケイソウのタネは、どうなったでしょうか。毎日眺めていたけれど、なんの変化もないので、このところ覗くのをサボっていました。(↓5/26ブログ参照)

 今朝見たら、どうでしょう! 1個に変化が現れています。ピンセットでそっと取り上げて、よくよく見るともやしのような根が出ています。早速ポットに蒔きました。

 Dscn1544 Dscn1545 Dscn1547

 残りは綿花だけ新調して、そのまま様子を見ることにします。タネの黒い皮は相当に硬いです。傷を付けると良いのでしょうが、あまりに細かいので、アサガオのタネのように簡単にはいきません。

 おまけの写真は、みちくさで偶然見付けた四つ葉のクローバーと我が家のもう1つのミニトマトそして定植を待つゴーヤの苗です。

 Dscn1541_2 Dscn1548 Dscn1551

 ゴーヤはあと2個タネを蒔いたのですが、まだ出てこないので、だめでしょう。ルコウソウと一緒にプランターに定植して、エコカーテンにするつもりです。

 

 

2011年6月16日 (木)

赤い絨毯

 大雨の予報が出ていたので、小降りになったのを見計らって買い出しに出掛けました。

 いつも通る道は、つつじの植え込みが茂って、傘を差すと、二人が行き交うのがやっとでした。鬱陶しく思っていたら、今日は雨具を着けて「完全装備」をした作業員の方が、伸びた枝を剪定してくださっていました。

 つつじの頭上にはアメリカデイゴが真っ赤な花を咲かせていたのが、雨で落ちて歩く道はまるで絨毯を敷いたように赤く染まっています。

 まだ剪定の手が着いていない場所があったので、大急ぎでデジカメを向けました。バス停があるのですが、待っている人は無くて、ベンチの上は赤い座布団を敷いたようでした。

   (写真の上でクリックすると、大きくなります)

 Dscn1525 Dscn1526 Dscn1534 Dscn1535

 少し行くと、紫陽花とアフリカハマユウが咲いていました。

 Dscn1529 Dscn1533 Dscn1531 Dscn1509

 買い出しから戻ると、テレビで大雨警報が出たと伝えていました。被害が無いようにと念じています。

 最後の写真は鉢植えのミニトマト(アイコサン)です。雨に遭うと実が弾けるので、写真を撮ったら収穫します。初収穫です!

2011年6月15日 (水)

毎日はがき随筆大会

 12日は第10回 『毎日はがき随筆大会』 が北九州市小倉北区であることになっていたので、あの大雨のなか、高速バスで出掛けました。

 この大会で、毎日新聞の九州・山口の各支局13局から出された、2011年中に掲載された作品の中から選ばれた13篇の代表作より、2011年度のグランプリが決まる日です。そして、別に「毎日はがき随筆文学賞」のために2週間ほど前に発表されたテーマで応募した中から文学賞5作品が決まることにもなっていました。

 私たち長崎組は、高速バスを予約し、グランプリ候補の随友の応援団として、張り切って出席したのです。

 13時の始まりには十分間に合う筈だったのですが、途中で渋滞に巻き込まれ、バスが進まなくなりました。交通事故のためでした。予定より1時間も遅れて会場にたどり着いたときには、すでに表彰は始まっていて、私たちの代表、大村市の I さんの表彰に間に合いませんでした。彼女は、グランプリこそ外されましたが、なんと三席(RKB毎日放送賞)に入賞しておられたのです。賞は代わりに支局長が受けてくださっていましたが、I さんが表彰台に上がれなかったのが大変残念に思いました。交通事故さえ無かったらバスが順調に着いて、間に合っていたのにと。

 「毎日はがき随筆文学賞」にも大村市の随友 T さんが入賞され、ほかに功労賞にも諫早市の I さんが選ばれました。

 長崎支局は3つも賞を貰って、私たち応援団も行った甲斐がありましたし、支局長も鼻が高かったでしょう。

 選者は、下関在住の川端康成文学賞、三島由紀夫賞の受賞作家の田中慎弥さんでした。田中さんは、講評のなかで、文章は書きたいものを書くのではなく、読みたいものを書くことが大事だと述べられました。  

 表彰式の後は、会食をしながら、各支部の参加者の紹介や余興があり、日頃は顔を合わせることがない、紙面の上だけの随友と親しく歓談することができ、多くの刺激を受け、有意義な一日でした。

 このところ、投稿を怠けている私も、これから気を入れ直さなくては、と思ったところです。 

   

 

 

2011年6月 7日 (火)

同窓会(2日目)

 2日目は「おすわさん」(鎮西大社諏訪神社)で喜寿の御祓いをして、昼食を摂り、夕方からの同窓会総会に出席することになっていました。

 おすわさんは高所にあり、足腰の弱い私たちにはあの長い階段(おすわさんの長坂)を昇るのは、到底無理なのですが、今はそのような人にも大丈夫なように、車道が社務所まで続いています。私たちはハイヤーに分乗して出掛けました。

 拝殿に向かって左に、平和祈念像の作者で有名な北村西望さんの「神馬像(しんめぞう)」があります。これは、北村西望さん102歳のときの作品で、昭和60年に奉納されたとか。前にあった像は、戦時中に国に供出されてそれまで姿を消していたのだそうです。拝殿で御祓いを受け、御神札(おふだ)を有難く頂いて帰りました。

 Dscn1419 Dscn1418_2 Dscn1463

 同窓会総会は全日空グラバーヒルホテルでありました。オランダ坂の登り口、大浦天主堂の下にあります。

 総会には、先程ノーベル化学賞を受賞された、大先輩で恩師の下村脩先生ご夫妻がご出席になられました。

 学生時代、4年次には、卒論のために学生はそれぞれ各教授の研究室に幾人かずつ配属されることになっていて、私は「分析教室」でした。下村先生は当時は、同じ分析教室で、故安永峻五教授の助手として学生の指導に当たっておられましたが同時に国内留学生でもあられ、名古屋大学と長崎大学を行ったり来たりのお忙しいお体でした。安永教授は、午後になるといつも「お茶にしましょう」と私たち学生に声を掛けてくださいましたが、下村先生が帰って来られていたたときには、よくご一緒にお茶を飲みながら四方山のお話を楽しんだものです。因みに奥様も同窓で、私たちの1級下でいらっしゃいます。

Dscn1430_2  Dscn1444_2  Dscn1446

 移り変わり先輩・後輩の訪問があり、先生は大忙しでした。

 来年は大分県で開催されることになり、一同再会を約して、盛会裏に終わりました。

 

    

 

2011年6月 6日 (月)

同窓会(1日目)

 早いもので、私たちは数え年77歳、喜寿を迎えました。なかには既に終わった人、来年の人もいますが。そこで、今年は同窓会総会の前日に喜寿クラス会をしようということになりました。

 会場は西海橋の直ぐ傍にある魚魚の宿(ととのやど)です。ここは、魚の美味しい宿として良く知られているとか。水揚げされたばかりの魚介類の卸市場の隣りにあります。

 Dscn1378_2

 部屋(4階)の窓からは眼下に大村湾の入り口・針尾瀬戸の流れを、右手に古いほうの西海橋、左手には新西海橋を見ることができます。 着いたときはちょうど引き潮のときで、渦を巻きながら右から左へと川のように流れていました。3月、4月の大潮の頃には、ここからさぞかし雄大な渦が見られるに違いないと思いました。(↓の写真は左が新西海橋、中央が古い西海橋。右の写真はクリックすると渦が分かります

 Dscn1368   Dscn1367   Dscn1369_2

 夕食にはまだ時間があったので、同室のTさんと新西海橋を渡ってみようと散歩に出掛けました。この橋は2階建てで上部が車道、下部が歩道になっています。歩道の中ほどに眼下にうず潮が眺められるガラス製の丸い窓が4個設けてあります。真下に海面が見えるので、迫力があります。他の観光客も怖々と眺めていました。(↑の冒頭の宿の写真と↓の右の写真はこの橋の上から撮ったものです

         Dscn1373_2   Dscn1376_2

 夕食の宴会は伊勢海老の刺身や鮑の踊り焼きなど豪華なご馳走に舌鼓を打ちながら、それぞれの近況報告を聞きました。ほとんどの人がリタイヤしているなかに、まだ現役組も居て、感心させられました。それから、お風呂のタイムリミットの11時まで一室に集まって、二次会で盛り上がりました。

         Dscn1381_2  Dscn1382  Dscn1383

 翌朝目が覚めると、朝靄が立ち込めて、幻想的な景色が広がっていました。漁船の航跡と朝日で海面が輝いているのが印象に残りました。

 Dscn1408  Dscn1410  Dscn1411

 来年は総会が大分県別府市であるそうですので、私たちのクラス会も、またその日に合わせて開くことに決まりました。

 その後、夕方の5時から、同窓会総会に出席しました。

                                    (2日目に続く)

 

 

 

 

                 

2011年6月 2日 (木)

チガヤ

 今の時季、真っ白なチガヤの穂波を見ることができる。こどもの頃、このチガヤの花の穂がまだ包葉に包まれて、すくすくと出て来ているのを見付け、すっと抜いて、軟らかい中身を食べていた。ほんのりと甘かった。私たちは「ツバナ」と言っていた。

 私がよく通る道の公園の縁にもチガヤが群れをなして生える。この風景が気に入ったので、今年は写真に収めようと思っていた。明日撮ろうか、明後日にしようか、もう少しふわっとなってからがチャンスかな、と迷っていたある日、怖れていたことが起こった。草刈隊のお出ましである。モーター付きの草刈機で、ブ~ン、ブ~ンとあっという間に刈り取られてしまった。あらそら言う間もない早技だった。

 それから数日後、母校に用事があって訪ねると、グランドの土手にこのチガヤが一面に真っ白に花穂を開き、風で揺らいでいる。やっと、求めていた風景に出合った。滑りそうになるのを必死で堪え、膝の痛みも忘れてシャッターを切った。

  Dscn1342   Dscn1344

 前の家に住んでいた頃、ちょっと庭の手入れを怠ると、このチガヤが強力な根茎を伸ばして侵入し、私を悩ませたものだ。当時は憎らしいばかりで、写真を撮ろうなどとはついぞ思わなかった。

 因みに、このチガヤの根茎には利尿作用があり、妊娠浮腫・急性腎炎などのムクミや、かぜ・咳止めなどにも効くという。

また、この根張りを利用して土砂崩壊の防止に利用されると聞いた。

 

 

 

« 2011年5月 | トップページ | 2011年7月 »