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2011年6月19日 (日)

父の想い出

 今日は父の日。諫早市の広報誌『市報いさはや』(平成11年6月20日号)のいさはや歳時記欄に掲載された、父の想い出をアップしたいと思います。

   「父と東大川 (ひがしおおかわ)

 私たち家族は、昭和20年、私が10歳のとき、敗戦で現在の韓国から引き揚げて来た。父の郷里は鹿児島だったが、戦災でやられ、帰るところがなく、母の生まれ故郷の諫早市津水町にひとまず落ち着いた。その後、父が病に倒れ、昭和25年に亡くなったので、私たち一家はこの津水町にそのまま居着いてしまうことになる。

 家の前を、東大川が大村湾の潮の満ち干に合わせ、あるときは上流の貝津町の方向へ、またあるときは大村湾の方向へとゆったりと流れていた。私たち津水町の住民はこの川を海と呼んでいた。事実、なめると塩辛いので、私はこれが「東大川」というれっきとした川だとはかなり遅くまで知らなかった。

 父は療養中の無聊をこの川にどれほど慰められていたことだろう。少し具合が良いと、すぐに釣り具を取り出して、釣り糸を垂れた。ときどき一本道の上流の方向を気にしているのは、喜々津から往診に来てくださる医師、N先生のバイクであった。先生のバイクの音がしてくると、子供のように首をすくめてあわてて家にひっこんだ。先生の方はとっくにお見通しで、聴診器を当てながらやんわりと注意されるのだった。先生の目を盗んでの父の獲物はウナギ、ボラ、ハゼなどであった。

 あれからずいぶんの歳月が流れた。昭和32年の大水害後の護岸工事で川の様子は一変した。かつて春のレンゲソウや菜の花、初夏の麦畑、盛夏の稲田、秋の黄金の波、と色とりどりに移り変わった川辺の風景も、にぎやかな家並みに置き換わった。

 父の大好きだった川を見下ろす墓地を訪ねるとき、私は東大川のほとりを歩く。そして、そこに釣り人の姿を見つけては胸を熱くする。この東大川を愛して一生を終わった父の姿を、もはや見ることはない。

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日記・コラム・つぶやき」カテゴリの記事

コメント

おはようございます。
19日は父の日でしたね。
熊のKさんのお話を伺い 私も父のことを思い出しました。
父は母親を早く亡くし 栄養失調だったのでしょうね 目が悪く 度のきついメガネをしていました。
父と一緒に 話がしたくなりました。

熊のkさん おはようございますcat
熊のKさんのお父様への想いがず-んと伝わってきます。
お父様、東大川で良く釣りをなさっていたのですね。
どこの川も今は立派になっていますが、その代わりに自然がなくなりましたね。
諫早水害の時は大変だったでしょうね。
お墓も墓地の見えるいい場所にあるようで、ずっとご家族や東大川を
見守っていらしゃる事でしょう。

昨日は父の日でしたね。
私たちは主人の妹宅で飲み会をしました。
全員で7名でした。
キャベツメンチとエビチリを作って持って行きました。
近場ですぐ集まれるので楽しいです。

子供がいない我が家では、父の日と言ってもプレゼントは期待できません。
お父さん早くなくされたのですね。
この間寂しい時がたくさんあったでしょうね。
我が家も父と母はすでにいませんが、二人とも長生きをしたので私は幸せだったと思っています。
昨日は妹の家で兄弟夫婦で食事会をしてきました。

まあちゃん、こんばんは。
 まあちゃんのお父様はご健在なのですか?
いいですね。
私の方は主人の父もこの世にいないので、
まさに、「孝行のしたいときに 親は無し」 です。
 父はこのような雨続きの日には、こどもの私を助手?に
して、よく小川にウナギ釣りに行っていました。

ミミさん、こんばんは。
 こんな雨ばかりの日には、余計に父のことを思い出します。
雨上がりには、ウナギがよく釣れたものです。
今は、昔のように釣れないのではないでしょうか。
 主人も釣りが好きなので、父が生きていたら、きっと
一緒に出掛けたのではないかと思います。
でも、うちは下戸なので、その後の父の相手は務まらなかったでしょうけれど。

恵さん、こんばんは。
 父の日のごきょうだいの飲み会は楽しかったでしょうね。
殿方が主役で、大いに盛り上がったのではないでしょうか。
みなさんがお近くに住んでいらっしゃるので、いいですね。

ツーカーさん、こんばんは。
 うちも子供が居ないので、主人にはプレゼント無しです。
 ごきょうだいが揃ってお食事会をなさったとのこと、
ごきょうだいがいつも仲良くなさっているのは、
亡きお父様への一番のプレゼントですよね。

父も義父も60代で亡くなったので「父の日」というと
もっぱら主人へのプレゼントの事で頭がいっぱいです。
次からは「父と義父の事を思う日」に・・・

ばあばさま、こんばんは。
 ばあばさまは、父の日にご主人様にプレゼントをなさるのですね。
私は主人に、父の日のプレゼントをしたことがないのですよ。
見習わなくてはいけませんね。
 義父は主人が高校を卒業して直ぐに亡くなったそうですので、私は
義父を知りません。

父の思い出を拝読させていただきました。
東大川でDrの往診を気にしながら、釣りをなさってるお父様の描写がうまいですね。小説を読ませていただいてるみたいでした。
私も釣りが大好きですから、お父様の没頭されてるシーンがすぐ連想できました.....笑
 私の父は感情の起伏の激しい人で、いつもびくびくして過ごしていました。
自分の嫌いなテレビ番組だと、人が見てても勝手に消しましたね。
だから、物静かな人を配偶者に選びましたよ......反面教師ですかね。
その父が故吉永さんと従兄弟でした。吉永さんくらい、おっとりした人だったら良かったです。 まあ、優しくって涙もろいところもありましたが。
あれ、誰かに似てる......。私だ!.....(´,_ゝ`)プッ

きょんさん、おはようございます。
 ご訪問いただき、ありがとうございます。
 15歳で父を亡くしましたが、たくさんの思い出を残してくれました。
 きょんさんも、釣りがお好きでしたよね。私も好きですが、小さい頃は、
母が「女が釣りをするものじゃない」と、うるさかったので、「男に生まれていればよかったのに」とくやしく思ったものでした。
 きょんさんのお父様と故吉永さんが、いとこ同士であられることをずっと知らずにきて、はがき随筆がご縁で判られたとのことですね。これからいろいろと楽しいご親戚付き合いが出来るという時に、残念でしたね。

お父様の思いが伝わってきますね。
私は父が亡くなって14年かな?父と話がしたくなってきました。
父はアユ釣りが好きで、今に時期はアユ釣りによく出かけていました。
川のきれいな水や景色思い出です。

kuni-92さん、こんばんは。
 kuni-92さんのお父様も釣りがお好きでしたか?
清流でのアユ釣りにkuni-92さんも同行されたのですね。
お互い、いまでは、懐かしい思い出となってしまいましたね。

こんばんは。

私の父の郷里も鹿児島です。そして、一家で満州から引き上げてきて大村に住むことになったと聞いています。
入院中は医師や看護師の目を盗んでは、患者仲間と出かけていました。

記事を読んで、父のことを久しぶりにゆっくり思い出してました。
よいお話をありがとうございます。

ねこおばさん、おはようございます。
 そうですか、ねこおばさんのご両親も似たようなご苦労をなさったのですね。
こんな雨続きの日には、何故だか在りし日の父のことを思い出します。
ねこおばさんのお父様も、たくさんの思い出を残してくださったでしょうね。

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