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2011年10月

2011年10月25日 (火)

記念講演―市川森一氏『希望の丘へ』(99)

 10月23日は私の母校鎮西学院の創立記念日でした。1881年(明治14年)にアメリカ人のC.S.ロング神学博士によって長崎市で創設されたカブリー英和学校としてスタートしました。今年で創立130周年となります。1945年に原爆に遭い、一時は存続も危ぶまれたと言いますが、諫早市で男女共学校として復興し今日の日を迎えました。

 10月22日には、全在校生と同窓生による記念礼拝と、続いて記念講演会、夜には380名の出席者のもと記念祝賀会が行われました。

 記念講演は、本学院卒業生のシナリオ作家・市川森一氏の「希望の丘へ」と題した、氏の在学時代の思い出話や、作家への足取りなどをユーモアを交えながら、後輩である在校生に優しく語り掛けてくださいました。

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「野外随筆大会」―大村史跡めぐり(98)

 10月16日(日)は、毎日新聞 はがき随筆投稿者やファンの皆さんの親睦イベントとして「野外随筆大会」が大村市(ミミさんのお住まいのある)でありました。(写真の上でクリックすると大きくなります

 大村駅に11時に集合し、大村市の史跡ボランティアガイドのかた(80歳男性)の案内でアーケードの商店街(旧長崎街道)を通り抜け、内田川に架かる鶴亀橋―ここからが大村城になる―を渡って、趣のある武家屋敷を歩いて玖島城跡へと向かいました。ガイドさんの説明によると、大村城=玖島城で、大村城の中に玖島城があったのだそうです。ポイント、ポイントで説明を聞きながら、写真も撮って、あっという間に城跡に着きました。武家屋敷の塀が面白いと思いました。漆喰で固めてあります。

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 城跡は大村公園になっています。ここは自然が豊か。春は桜(大村サクラが有名)に始まり、初夏のツツジ、ハナショウブ、藤の花、と美しく彩られ枚挙にいとまがありません。

 公園を歩いていたとき、後ろに居た随友きょんさんが、「あらっ、kさんの帽子にアカトンボが~」と驚きの声をあげました。私は大急ぎで「これで撮って~」とカメラを渡しました。きょんさんは名カメラウーマンです。慌ててシャッターを押したのに2枚ちゃんと撮れていました。その2枚のうちの1枚です。良い記念になりました。(お城の石垣の石の切り方―昔と今が分かります)

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 ちょうどお昼になって、昼食は「梅ヶ枝荘」で大村寿司定食に皆で舌鼓を打ちました。落花生の入った季節の和え物が珍しくて、美味しかったです。4枚目の写真は御船蔵跡です。(ミミさんのブログにも載せてありました)

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 秋晴れの、爽やかなお天気に恵まれ、皆和気藹々、楽しい一日でした。はがき随筆の選者でもある支局長さんに頂いた随筆のテーマは『かぜ』。さて、ライバルさん? たちはどんな思いを250字に込められるのでしょう。1週間が過ぎました。そろそろ紙面が気になりだしました。ライバルさんは23名。私のタイトルは『秋風に乗って』です。 

2011年10月24日 (月)

『あの日 僕らの夢が消えた』(97)

 しばらくの間に朝夕は肌寒さを覚えるようになりました。超多忙の2週間で、ブログ更新もままならず、みなさんのところをお訪ねすることも叶いませんでした。

 10月22日の母校の創立130周年記念行事に間に合うようにと計画を進めてきた『あの日 僕らの夢が消えた』(全188頁)が上梓され、編集委員の一人としてほっとしたところです。 写真の上でクリックすると大きくなります。ピンボケでお見苦しいことをお許しください。

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 この記録誌は原爆投下当時在校生名簿と被爆記録から成り、校友会(同窓会のこと)が中心となって編集されました。名簿作成委員会に名を連ねておられた先輩の中でも当時3年生と2年生のかたが亡くなられました。戦後66年の長い歳月が流れています。立派に出来上がった本誌を見ることなく旅立たれ、さぞ無念であられたでしょう。

 私は敗戦で諫早市に移転してきた学院の新制中学部(男女共学)に4回生(新制高校6回生)として入学した者ですが、学校の近くに住み、ぶらぶらしているので、戦後の女性の卒業生として関わって欲しいと、記録誌編集委員会に引っ張られ、末席を汚しました。

 編集長のあとがきにもあるように、原爆被爆のために、学籍簿を始め保存文書などすべてを焼失し、とくに1年生にあっては、入学の際の集合写真すら撮られてなく、名簿を起こす作業は困難を極めました。これまで何年もかかって、ちょっとの手がかりを頼りにこつこつと学友を探し出し、1軒1軒足でそれと思しきお宅を訪ね、話を聞きながら出来上がった名簿です。

 この本は、10月22日の130周年記念祝賀会の出席者380名全員にお土産としてお配りすることができました。

 私は編集会議に顔を出すだけで、たいした仕事もしていませんが、委員長を始め、委員の先輩がたの熱い思いと、献身的なお仕事振りに、深く感動しました。

 

 

読書 『白愁のとき』(96)

 秋の夜長、読書の秋です。いつぞや、ブロ友のkuni-92さんが映画『神様のカルテ』を紹介してくださっていたので、原作を読んでみたくなり、図書館へ行きました。すると、予約者が多くて、私に回ってくるのは2か月も先になりそうだったので、予約はしないで、書架を巡りました。

 文庫本の「な」のところで、夏樹静子の『白愁のとき』というタイトルに興味を惹かれ、手に取りました。

「白秋」はわかるけど、さて「白愁」とは?…。そんな言葉があったかな? と疑問に思って解説を読んでみました。

 この『白愁のとき』が発表されたころは、まだアルツハイマー病が今ほど世に知られていない平成5年のことだったので、読書界の注目を集めてベストセラーになったと記してありました。

 キイワードは「精神余命」になっているとあります。借りて読むことにしました。

 「精神余命」。なんと厳しい言葉でしょうか。

 私の精神余命は果たして何年あるのだろう。私の肉体は、いつかはこの世と訣別の日が来るのは明らかです。その日まで私がずっと「自分自身」であり続けたいものだと、切に願うものです。

 『神様のカルテ』のほうは、ブックマートで文庫本が出ていたので買ってきました。字は小さいけれど、軽くて持ち歩きには都合がよいです。

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   (10/5 に下書きしていたものです)

2011年10月 5日 (水)

被爆校舎跡に現れた地下壕(95)

 朝、窓を開けると、す~っと心地よい涼風が顔をなで、どこからともなく懐かしい金木犀の香りがしてきます。 ようやく秋の到来です。

 9月は特に中旬以降、暑いなか、いろいろな行事や用事で忙しく過ごしました。

 数え上げると ①墓掃除と墓参 ②同窓会の130周年記念事業・被爆記録誌(以後 記念誌と略記)編集委員会 ③解体中の被爆校舎跡から発見された地下壕の現地説明会 ④恩師の告別式 ⑤写真教室 ⑥PC教室 ⑦義弟の一周忌 ⑧研修会 ⑨②と同じ委員会 など、惚けている暇もありません。

 ②と⑨は10/7が最終回でやっと校了の運びとなります。

 今日は③の記事にしたいと思います。

 現・鎮西学院は諫早市にあり、幼、高、大学がありますが、1945年(終戦時)は旧制の中学校で、長崎市に在りました。地下1階、地上4階建ての校舎(当時には珍しい鉄筋コンクリート建築)は、原爆で3,4階部分は吹っ飛ぶという大きな被害を受けて、諫早市に移転し、復興しました。跡地は活水学院に譲り、活水学院は中・高校が形を留めていた二階までを修復、改築して校舎としてこれまで使ってこられました。最近、その校舎も傷みが酷くなり、危険なので解体することになりました。

 ところが、9/16、解体作業中に地下から防空壕とみられる大きな穴がぽっかりと開いたというのです。全長約30メートルで曲がりくねりながら掘り進められ、裏山の防空壕へのトンネルではないかと考えられました。今となっては生き証人は無く、当時の先生がたの手記(被爆記念誌に掲載の)だけが頼りですが。

 その手記から、当時、命より大事に取り扱っていた「御真影」を空襲の度ごとに、4階から防空壕までお運びしていたのが、外に一旦出てから壕までの間に焼夷弾で焼失すると大変なことになるからとの理由で、地下トンネルを掘っていたらしいということが分かりました。多分、完成しないうちに原爆が落ちたのではないでしょうか。

 9/24、現場が公開され、説明会があるというので、当時の在校生であった先輩がたと一緒に、私もこの目で確かめてきました。

中から見つかった物  鉄かぶと      やかん      ビール瓶や割れた茶碗   

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 活水中・高校の教頭先生のスライドに依る詳しい説明を受け、私たちは現場に案内されました。

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 66年前にここで学んだ先輩たちは、「英語を勉強したくて、憧れて私立の鎮西学院に入学したバッテン、英語は敵国語としておおっぴらに勉強できんし、勤労奉仕ばかりで、勉強どころではなかったもんね」と過ぎし少年時代の思い出を語り合っておられました。もうみなさんは80歳を超えておられます。私たちは、折に触れ、先輩方の思い出話を聞きながら、平和な時代に生きて学べる幸せを感じています。

2011年10月 3日 (月)

研修会(94)

 21時までのPCタイムです。夫に追い出される前に、ブログアップできれば良いのですが。

 さて、ちょっとおカタいタイトルになりましたが、昨日は、長崎女性薬剤師会主催の研修講座 診療ガイドライン・薬剤コース 平成23年度 前期スクーリングが長崎市でありました。

 朝9時50分から16時まで、4科目、みっちり鍛えられてきました。

 仕事をしているときは、いろいろな勉強会や、学会などがあり、新しい知識を入れていましたが、現役を退いて2年半、のんびりと好きなように暮らしてきましたので、これではいけないと反省し、久し振りの研修会出席でした。

 お顔なじみや若いみなさん50余名の出席で、会場は意欲満々の熱気で、圧倒されました。

 講師は日頃、医療の現場でご活躍中の、医師や薬剤師の先生がた(オール女性)です。

 科目の内容は

 1時限目 糖尿病:重要なことは治療の継続 

 2時限目 うつ病:「がんばって」と言わないで

 3時限目 加齢に伴う眼科疾患:目の成人病

 4時限目 妊娠・出産:未来世代の新たな生命のために

と盛りだくさんでした。私は今では、直接患者様に接する機会はなくなりましたが、どの科目も女性として、また、高齢者として、為になるお話ばかりでした。

 後期のスクーリングにも是非出席したいと思っています。右の耳から左の耳へと通り抜けた部分も多いですが、良い頭の体操になりました。

 お膳立てをしてくださった役員のみなさんにお礼を申し上げます。

 お世話になりました。

ヒメリュウキンカの植え替え(93)

 ~お知らせ:今回からカテゴリーに「園芸」を追加しました~

 今朝はいきなりの涼しさで、寒いくらいでした。

 今日は、何はさて置き、気懸かりになっていたヒメリュウキンカの植え替えをしなくては、と思い立ちました。ミミさんの所へお嫁に行ったヒメリュウキンカはどうしているでしょうか?

 我が家のヒメリュウキンカの鉢は?…  カタバミが居候を決め込んでこんな状態です。

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 鉢をひっくり返すと… なんとびっくり! こんなに殖えていましたよ~

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 太っているのから選んで、5号の素焼き鉢に、新しい培養土で植え替えます。被せる土は1、5cmぐらいの厚さで良いです。

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 まだ、これだけ残りましたので、別の鉢に無造作にバラ撒いて同じようにして土を被せました。最後に水遣りのときに土が飛び跳ねないように小粒の鹿沼土を撒いておきます。これは乾燥に気付く(黄色が白っぽくなるので)ため、水遣りを忘れずにすみます。

 このまま、普通に水だけ遣っていれば、来年の3月には黄色いエナメルのようにピカピカ光ったヒメリュウキンカのお花が咲いてくれる筈です。楽しみです。

 「ミミさ~ん、早速植え替えをなさってくださいね~」

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