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2011年10月24日 (月)

『あの日 僕らの夢が消えた』(97)

 しばらくの間に朝夕は肌寒さを覚えるようになりました。超多忙の2週間で、ブログ更新もままならず、みなさんのところをお訪ねすることも叶いませんでした。

 10月22日の母校の創立130周年記念行事に間に合うようにと計画を進めてきた『あの日 僕らの夢が消えた』(全188頁)が上梓され、編集委員の一人としてほっとしたところです。 写真の上でクリックすると大きくなります。ピンボケでお見苦しいことをお許しください。

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 この記録誌は原爆投下当時在校生名簿と被爆記録から成り、校友会(同窓会のこと)が中心となって編集されました。名簿作成委員会に名を連ねておられた先輩の中でも当時3年生と2年生のかたが亡くなられました。戦後66年の長い歳月が流れています。立派に出来上がった本誌を見ることなく旅立たれ、さぞ無念であられたでしょう。

 私は敗戦で諫早市に移転してきた学院の新制中学部(男女共学)に4回生(新制高校6回生)として入学した者ですが、学校の近くに住み、ぶらぶらしているので、戦後の女性の卒業生として関わって欲しいと、記録誌編集委員会に引っ張られ、末席を汚しました。

 編集長のあとがきにもあるように、原爆被爆のために、学籍簿を始め保存文書などすべてを焼失し、とくに1年生にあっては、入学の際の集合写真すら撮られてなく、名簿を起こす作業は困難を極めました。これまで何年もかかって、ちょっとの手がかりを頼りにこつこつと学友を探し出し、1軒1軒足でそれと思しきお宅を訪ね、話を聞きながら出来上がった名簿です。

 この本は、10月22日の130周年記念祝賀会の出席者380名全員にお土産としてお配りすることができました。

 私は編集会議に顔を出すだけで、たいした仕事もしていませんが、委員長を始め、委員の先輩がたの熱い思いと、献身的なお仕事振りに、深く感動しました。

 

 

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コメント

たくさん更新されていたのですね。
遅くなりましたが 『あの日 僕らの夢が消えた』の編集 ご苦労様でしたね。
大変だったことでしょう・・・

戦争は二度と繰り返してはいけません。

まあちゃん、こんばんは。
 お労いいただき、ありがとうございます。
 私は先輩方のお手伝いをしたに過ぎませんが、
立派に出来上がってうれしく思いました。
 ほんとうに二度と戦争を繰り返してはなりません。

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