2015年8月
            1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28 29
30 31          

最近のトラックバック

無料ブログはココログ

« 研修会(94) | トップページ | 読書 『白愁のとき』(96) »

2011年10月 5日 (水)

被爆校舎跡に現れた地下壕(95)

 朝、窓を開けると、す~っと心地よい涼風が顔をなで、どこからともなく懐かしい金木犀の香りがしてきます。 ようやく秋の到来です。

 9月は特に中旬以降、暑いなか、いろいろな行事や用事で忙しく過ごしました。

 数え上げると ①墓掃除と墓参 ②同窓会の130周年記念事業・被爆記録誌(以後 記念誌と略記)編集委員会 ③解体中の被爆校舎跡から発見された地下壕の現地説明会 ④恩師の告別式 ⑤写真教室 ⑥PC教室 ⑦義弟の一周忌 ⑧研修会 ⑨②と同じ委員会 など、惚けている暇もありません。

 ②と⑨は10/7が最終回でやっと校了の運びとなります。

 今日は③の記事にしたいと思います。

 現・鎮西学院は諫早市にあり、幼、高、大学がありますが、1945年(終戦時)は旧制の中学校で、長崎市に在りました。地下1階、地上4階建ての校舎(当時には珍しい鉄筋コンクリート建築)は、原爆で3,4階部分は吹っ飛ぶという大きな被害を受けて、諫早市に移転し、復興しました。跡地は活水学院に譲り、活水学院は中・高校が形を留めていた二階までを修復、改築して校舎としてこれまで使ってこられました。最近、その校舎も傷みが酷くなり、危険なので解体することになりました。

 ところが、9/16、解体作業中に地下から防空壕とみられる大きな穴がぽっかりと開いたというのです。全長約30メートルで曲がりくねりながら掘り進められ、裏山の防空壕へのトンネルではないかと考えられました。今となっては生き証人は無く、当時の先生がたの手記(被爆記念誌に掲載の)だけが頼りですが。

 その手記から、当時、命より大事に取り扱っていた「御真影」を空襲の度ごとに、4階から防空壕までお運びしていたのが、外に一旦出てから壕までの間に焼夷弾で焼失すると大変なことになるからとの理由で、地下トンネルを掘っていたらしいということが分かりました。多分、完成しないうちに原爆が落ちたのではないでしょうか。

 9/24、現場が公開され、説明会があるというので、当時の在校生であった先輩がたと一緒に、私もこの目で確かめてきました。

中から見つかった物  鉄かぶと      やかん      ビール瓶や割れた茶碗   

Dscn2339 Dscn2347 Dscn2346 Dscn2343_2 Dscn2345

 活水中・高校の教頭先生のスライドに依る詳しい説明を受け、私たちは現場に案内されました。

Dscn2370 Dscn2371 Dscn2372 Dscn2373 Dscn2378Dscn2379

 66年前にここで学んだ先輩たちは、「英語を勉強したくて、憧れて私立の鎮西学院に入学したバッテン、英語は敵国語としておおっぴらに勉強できんし、勤労奉仕ばかりで、勉強どころではなかったもんね」と過ぎし少年時代の思い出を語り合っておられました。もうみなさんは80歳を超えておられます。私たちは、折に触れ、先輩方の思い出話を聞きながら、平和な時代に生きて学べる幸せを感じています。

« 研修会(94) | トップページ | 読書 『白愁のとき』(96) »

日記・コラム・つぶやき」カテゴリの記事

コメント

熊のKさん おはようございますcat
毎日お忙しいのが元気の秘訣ですかね。
あの古い校舎の地下に防空壕があったのですか。
あの時代の学生さんは勉強したくても出来なかったのですよね。
平和は尊いですね。

ミミさん、おはようございます。
 このところ、外へ出掛けることばかり多くて、
朝から大人しくしていると、夫に「今日は何処にも
行かんとか?」と皮肉られます(笑)。
忙しく動けるうちがハナかな、と思っています。
 ぽっかりと開いた穴を見たときは、先輩たちの
ツルハシやノミのあとだと思い、胸が熱くなりました。
本当に平和は尊いです。
 

熊のKさん
お忙しいですね。
改めて感心しました。
地下壕が古い校舎の下にあったのですね。
もう このようなことのない世の中になって欲しいです。

まあちゃん、こんばんは。
 コメント ありがとうございます。
ほんとうに、こんなに悲しいことが二度とあってはいけません。
戦争で幸福になる人は絶対に居ないのですから。
戦争の無い世界にはやくなって欲しいですね。

戦争は人々を悲しませますね。
この地下壕は記念に残すのでしょうか。
パソコン教室に何度か出席したことがあるのですが、Tシャツ等のプリントを行う教室が無かったです。
是非自分だけのオリジナルtシャツ来てみたいですね。

ツーカーさん、こんばんは。
 地下壕は崩落の危険性があるため埋め戻し、壁の一部を遺構碑とともに残して、
隣りの校舎下に続く一部はそのまま戦争遺構として残す方法が検討されているそうです。
 

コメントを書く

コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。

(ウェブ上には掲載しません)

« 研修会(94) | トップページ | 読書 『白愁のとき』(96) »